いえづくり - ほんとうに大切なこと -
2006年 02月 05日

1)家づくりは決して急がないこと!
まずは土地をとことん探す。できれば、買ってから3年ぐらい「寝かした」ほうがいい。「ワインを寝かす」ように、考えが熟成するのを待つ。その間、野菜でもつくっていればよい、というKさんはすごいなと思った。「よい家」の答えは、その土地が教えてくれる。土地を仲介した不動産屋さんが工務店を紹介して、どんどん設計を進めていくのに「違和感」を感じたそうだ。「違和感」を感じることができるかどうかは非常に大切な分岐点。
建売の家、出来上がったマンション、、、「すでにできたものを」購入するのは簡単だけど、それはほんとに「私の家」なのか? ただの消費ではないのか? 職人さんはいきいきと造ってくれているのか? 材料はどこから来たのか? などなど、食べ物では当たり前になりつつあるこういった疑問を、なぜ大きな大きな買物である「家」では忘れてしまうのか? 確かに、建売もマンションもプレハブ住宅も「現物」を買う安心感はある。でも肝心な「家」は、上記の質問に応えてくれない。
2)作業の現場をみるのは楽しい!
東京の林業の現場で、植林をしたり、草刈りをしたり、、、製材所で見学をしたり、、、設計士が一生懸命考えてくれたり、、、家の現場で大工さんや左官屋さん、、、とお話しをしたり、、、いわゆる「職人」たちが、いきいきと誇りをもって自分の家をつくってくれているという感覚は家づくりの醍醐味。「職人の笑顔」が絶えない家づくり。現場がおわってしまって、さみしい。。。(わたしたち設計もひとつの現場がおわるとさみしいんです。)
3)設計を入れた方がいい
最後に「設計料」の話し。工事費の1割を「無形の価値」である設計に支払うのであれば、その分を家づくりに廻したい。だれしも考えること。設計を入れないで(建築士のいる?)工務店に直接お願いする。展示場でハウスメーカーで予め用意されている組み合わせのなかから選ぶ。。。
でもおふたりは、異口同音に「設計士」はいれたほうがよかったと答えた。ほんとうに「良い家」を建てたいのであれば、自分にあったよい設計士を選ぶべき。設計士の一番の価値は単に「創造者」であるだけでなく「第3者」であること。工務店やハウスメーカーから提案されたものを、ちょっと雑誌や本で調べただけの素人がいろいろ判断するのは無理、自分で選んでいるようで決してそうではない。
●「性能保証制度」はなぜできたのか?
そもそも「顔のみえるオープンな家づくり」では、性能保証など必要ない。保証が必要なのは、建売やマンションやハウスメーカー。なぜか? 材料がどこからきているか? そもそもどんな材料なのか? だれが施工しているのか? 見えているのは「営業マン」だけ。。。
●設計士としてそれでも敢えて抑えていきたいなと思ったこと
「意匠」だけでなく、「防犯」「空気」「エネルギー」「プライバシー」「まち並み」そしてやはり「構造」。これらすべてが、一軒一軒まったく違う。土地も違うし、住む人も違う。
●結局、いちばん大切なことは「目にみえないところ」にある
設計にしろ、職人の笑顔にしろ、家を造る前には見えない価値ばかり。作り手が幸せであれば「心のこもったもの=ほんとうの意味でのよい家」となる。「手間をかける」これが一番大切。こういうプロセスで造られた家は、日常の生活のなかで「目にみえない価値」を発散しつづけていくのだと思う。
散漫なメモになってしまいましたが、忘れないうちに書いておきました。一言でいうと「手間をかける」というところに行き着きます。家づくりを考える人々の考え方をよくよく観察していると、能率的に考える事が合理的に考える事だ、と思い違いをしているようにみえて仕方がありません。それなりに考えているつもりなのが、いつのまにか考える手間を省いている。市場経済の罠ですね。ほんとうに大切なことは、家づくりに関わる人の笑顔・心意気・愛情など、「目に見えない部分」なのだろう。
